その日の夕方の帰り道──
　まさに、そこから下り坂に入るというポジションに、彼女が立っていた。自転車を支えながら──。
　目と目が合った。
「おう」　僕は、軽く会釈しながら小さく手を振った。
　目と目が合い続けながらも、いつもどおり、そのまま減速せずに、あいさつをして通り過ぎようとする、まさにその瞬間、彼女が口を開いた。「あ、待って」
　意表を突かれた僕は何も考えずに急ブレーキをかけた。思わずきょとんとしながら振り返った。
　彼女は数メートル駆け寄り、そして、おずおずと話し始めた。
「あ、あの──　今朝は、本当に、どうもありがとう。
　あれ、学校では、なんだか話しづらくて──　それで、その、もう一度、きちんと、お礼が言いたくて──　・・・
　私、今朝ちょっと投げやりになっちゃっていたの──。 だから、私、その、 ──本当に助かったの。本当に助かって、ありがたくて──　・・・。
　だから、私──　 ・・・　 私──」
「途中まで一緒に帰ろっか？」
「──ウン」　彼女の顔に笑みがこぼれた。

　それから彼女は、自分の自転車のサドルの上に腰を下ろすと、ふと口を開いた。「私、この“帰りの下り坂”大好き」
「──え？　どうして？」
「だって──　風が気持ちいいんだもん。 ──それにラクだし♪　アハッ」
「アハハッ。そうだね」
　僕も同じように感じていた。

　夕暮れの中、2台の自転車が、ふたつの笑みを運びながら、なめらかに坂を下った。